千葉大学教授 木下勇先生
1.基調講演「こどものまちの歴史と子ども参画の意義」について
(要旨)
こどものまちは、1980年頃ミニミュンヘンで出会った。冒険遊び場という考え方があった。冒険遊び場は固定的な場所(公園や児童館のようなところ)で行なうのに対し、プレイバスでいろんな場所に出張して、こどもの遊びの場を提供するもの。その中のひとつとして「こどもの遊びのまちをつくる」というプログラムがあった。1979年の国際児童年のとき大掛かりに5週間くらい開かれた。
それらの40年~50年に渡る活動が市の政策にも反映されるようになった。ミュンヘン市の政策の中にこどもの意見を聞こうという姿勢が生まれた。こどもに親しまれる都市計画、こどもに優しい指針などが生まれた。あるときはこどもに優しい大人100選を子供たちが選ぶという事業もあった。ミュンヘンの青少年局は、行政とNPOがしっかり協働している。
昨年2008年ドイツ訪問のとき、訪れたマウルスハウゼンでは冒険遊び場の中でこどものまちが年中開かれている。ここではこどものまちのお金がユーロに変えられる。稼いだお金で角材を買って、家を建てるこどももいる。
遊びのまちの仕掛け人。1998年のIPA(アジア太平洋会議)のときに金印こどもランフォという、こどものまちの試みをおこなった。
そのあとミニさくらを筆頭に日本全国に広がり、今は20箇所以上ある。場所も運営団体もさまざま。こどもたちにとってこどものまちはとてもおもしろいことで自然に参加している。大人は、それらの中でこども参画をどう進めるかについてみんな悩んでいる。
課題として、大人が基本的な部分を仕込むのか、はじめから大人は口出しせず、こどもたちが創るのか。ジュニアリーダーの必要性などそれぞれのまちが抱えていることを今日議論できるとよい。
最後に好きな言葉を
「都市とはその通りをあるいているひとりの少年が、いつの日かなりたいと思うものを感じとれる場所でなくてはならない」
ルイス・カーン
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こどもがつくるまち研究会 中村桃子氏
(要旨)
2.基調講演 「ミニミュンヘン~子どもにとっての遊び場とは」
最初に1996年内藤さんの発表会で知り、ワクワクした。ミュンヘンに行って体験した。ミニミュンヘンのまちの中にはまちにあるものがすべてあった。子どもたちは水を得た魚のように活き活きとしていた。こどもたちは‘やりたいことしかやっていない!’それでまちが成り立っていることに感動した。世の中はみんなが少しづつ我慢してやりたくないことをやって成り立っていると思っていたけど、それは間違いで、やりたいことだけやっていても世界がまわっていくんだと知った。我慢なんかしなくてもすてきなまちができている。自分も参加したかったけど、大人だからできないのがくやしくて、自分の住んでいるまち「佐倉」でもやろうと決意した。
たとえばカラオケにいったとして歌を楽しくうたっていたら横から「もっとリズムにのって」とか「メロディが違う」とかいわれたらうるさいとかんじるだろう。合唱コンクールじゃないんだからと思うだろう。でも自分が、カラオケの操作方法がわからないとき教えてもらえたらうれしいだろう。このように、(歌を歌い)楽しむこども、でも少したりない部分を補う大人のサポートというあり方がこどものまちのありかたじゃないかと思う。大人にとって、目の前で行なわれてることがいわゆる仕事だと思うと違和感もあるかもしれない。
すべてが遊びであるということのほか、ミニミュンヘンのもうひとつ面白いところは、まちであるということ。自分がまちで楽しんでいることがまちに役立っていき、影響をあたえていく、ということの面白さがある。すべてが評価されない。現実のまちを違っていい。
自分は「こどもたちのため」に、あるいは「こどもたちを変えよう」とか思わないで、「生き生きとしたこどもたちに学ぼう」「こどもたちと一緒にまちを変えていこう」というスタンスでやっていきたいと思っている。
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3.2つの基調講演に対して質疑応答
コーディネート
NPOミニシティ・プラス副理事長 岩室晶子
質問・岩室)子どもたちと接するとき、自分の専門分野であるとどうしてもこだわりができて口出しに近くなってしまう。
ミニミュンヘンも専門家の大人がたくさんお手伝いしているが、どのように考えているのか教えて欲しい。
答・木下)プロはプロとしてしっかりと教えていくことも大切。ミニミュンヘンでは大人が作りこんだものをこどもたちに自由につかってもらっている。専門家と接して、一人前に扱ってもらえることがこどもの誇りにもなると思う。大人のサポートではそこの線引きが難しい。
質問・岩室)こどものまちのように、大人も好きなことだけ、遊びの延長で楽しみながら仕事ができたら最高だし、そうできると個人的には信じているが、桃子さんの考えは?
答・中村桃子)ミニさくらでも、一見人がいやがりそうなお皿洗いの仕事を、何度もやる子もいた。失業者が出るこどものまちでいつも好きな仕事にありつけるとは限らない。その中で「好きな仕事が出るまで待つ」「とりあえず今ある仕事に就く」のは自分自身の選択。しかも途中でやめたくなったらやめるのも自由。つまらなそうに思えた仕事を続けているうちに楽しくなることもある。やらなければミニさくらのお金がもらえないだけ。それは彼らの選択にまかされている。自分で選択できるということが大切なのではないか?大人の社会もそうだったらいいと思う。
質問・名古屋市立大学のKさん)
中村桃子さんのスライドの中で「まちであること」という項目があったが自分とまちにつながりをもてる・自分がまちの一員ということについて具体的にお話を伺いたい。
答・中村桃子)私が一番印象に残っているのは、ミニさくらのアンケートに9歳の女の子が「子どもだけでまちをつくれるのか不安だったが、無事つくれて良かった」と書いた子がいたこと。実感というのは、人とのつながりがある、変えていける、まちが変わっていくことだと思う。新聞をつくったらみんなが読んでくれる、意見を言ったらその意見が通っていくという、変わっていく、変えていけるということがまちの一員だという意識に繋がっていくのだと思う。
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